長浜城跡
後北条氏の水軍根拠地
戦国時代に関東一円を治めた後北条氏の水軍の拠点とされた城跡。国の指定文化財であり、平成27年度に史跡整備が完了しました。 この城郭は、戦国時代関東一円を治めた北条氏の水軍根拠地、重須湊を守るための城と考えられています。 北条氏の祖、伊勢新九郎盛時(北条早雲)は、興国寺城から堀越公方足利茶々丸の館を急襲し、韮山に城を構え戦国大名としての第一歩を踏み出しました。その後小田原を手中におさめ、二代氏綱・三代氏康の頃には領地を武蔵から下総まで広げ、里見氏と激しく対立しました。北条氏は三崎や浦賀を根拠地とする三浦水軍を組織し、江戸湾から里見氏の勢力を駆逐する一方、今川義元亡き後の駿河に侵入してきた武田氏に対しても、伊豆の水軍を組織しその脅威に備えました。その伊豆における北条水軍根拠地の一つが、この重須湊・長浜城です。 このような情勢の中、天正7年(1579年)には北条水軍の事実上の統括者である梶原備前守が長浜城におかれ、翌天正8年(1580年)、武田・北条両氏水軍による駿河湾海戦が行われました。戦いの結果は必ずしも明らかではありませんが、武田氏が織田信長に滅ぼされることで、一応の決着を見ることになった。その後、天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めにより、長浜城は再び緊張状態におかれましたが、北条方の小田原籠城策に呼応し、水軍の主力も小田原の川岸に集結したことから、長浜城は水軍基地としての機能を失い、韮山開城と共に廃城となったものと考えられています。
(沼津観光ポータル・沼津市ホームページより)

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オススメ体験記
戦国時代、駿河と伊豆の国境にあたる沼津周辺では、
今川氏、武田氏、北条氏が三つ巴の戦いを繰り広げていました。
戦いの場は、陸だけでなく海に及びました。
武田氏が構えた三枚橋城に睨みを利かすため、
その対岸、海沿いの丘に建てられた北条水軍の拠点が、こちらの長浜城。
そんな歴史を思い浮かべながら、軽いハイキング気分で、城跡周りを探索できるのも魅力のひとつ。
青い海には、かつて威容を誇った軍船の代わりに、
たくさんのヨットやプレジャーボートが、ゆったりと浮かんでいます。
淡島の向こうに富士山を望む絶景は、戦国の世から変わることがない景色のように思えます。
沼津観光協会アンバサダー・
テキーラマエストロ よい子
住所 | 〒410-0225 静岡県沼津市内浦重須 |
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