「成熟した大人が優雅にお酒をたしなむ高級な場所」
それが、わたしが漠然ともっていたバーのイメージ。
年齢だけなら大分成熟しているものの(笑)、わたしにとってはまるで別世界な感じがして、自分からは足を踏み入れなかったであろう場所。
そんな私が、思いがけなくご縁をいただき、沼津にあるオーセンティックバーVICTORYさんへ。
この沼津の地で、高度経済成長期が終わって間もない頃から長年に渡ってバーを営んでいる。そして、「沼津のバーといえば・・・」というと、必ずと言っていいほどお名前が出てくる「VICTORY」さん。
落ち着いた温かい色合いの煉瓦で覆われた英国風の高級感のある外観。品格のある入口とドア。
今までバーに行ったこともないのに、いきなり本丸に飛び込んじゃう感じ・・・なのかもしれない・・・と緊張しながら、素敵な照明に照らされた雰囲気たっぷりの階段を上がると、目の前にはとても素敵な空間が広がっていた。
濃密な時間を提供するこだわりの空間「バッカスルーム」
バーといえば、カウンターで飲むイメージだが、カウンターと隣り合わせにテーブル席がいくつか置かれた部屋がある。
「バッカスルーム」と名づけられたその部屋は、河守さん(以下マスターと呼ぶ)思い入れの空間である。
奧には、大きな美しいステンドグラスの窓。
そのステンドグラスを挟むように左側と右側に気品あるブロンズ作品が飾られている。
マスターは、「左側に飾られているのは「ディオニュソス」というワインの神様の顔のブロンズ作品だよ。」と、また、右側には「BACCHUS」という文字の作品が飾られおり、「バッカスは、お酒の神様だよ。」と教えてくださった。
「バッカス」はローマ神話に登場するお酒の神様のことで、ギリシャ神話では「ディオニュソス」と呼ばれ、人間にブドウの栽培を教えたと言い伝えられている。
お酒を飲めば、身近に感じられる神「バッカス」。
「お酒を飲む」ということは、「社会的緊張感から自己を解放する営み」でもある。
マスターはそれを「お酒が入ると人は身も心も水のように液体化する」と表現した。
マスターは、バッカスルームにある装飾品1つ1つのお話を丁寧にしてくださった。
中でもバッカスルームに飾られたひと際目を引く大きな美しいステンドグラスは、もとは戦前から沼津の社交場の役割を果たしていた洋風料理店の一角にはめられていたもので、
「沼津の社交飲食業の語り部になるのなら」
と蔵に納められていたものを贈られたそう。
郷土の海川に育まれ、郷土の人々に感化され成長し、
「バーを故郷で」
と決心したマスターにとって、背中を押され、大きく心を動かされる忘れられないできごとだったことだろう。
「バーはカウンター」というイメージだが、バッカスルームは、「コミュニケーションの場」として、また、「市中の山居」という昔からの文化に思いを馳せての空間だそうだ。
独りで静かに心を落ち着ける場であったり、談笑する場であったり。バーでは、お客さんがそれぞれの楽しみ方で素敵な時間を過ごす。
「バッカスルームは、人が集まり、打ち解け一座を共有する夜の場にもなっている。バーは『くつろぎや交流を楽しむ特別な場』であって、享楽にふける特殊な場であってはならない。」
と、マスターは語った。
心に”ハレ”を生む、最高のおもてなし
「明治・大正の時代には、バーは、船でヨーロッパに行けるような上層階級や異国趣味のハイカラな人たちが出入りするところだった。今は日常からの延長、たわいもないお話をしたり、悩み事などを安心して相談できる場、心を休める場として、気軽に楽しめる場に変化しているんだよ」
とマスターは教えてくれた。
(バーが日常に?)
と思ったけれど、来店したお客さんたちがスッと慣れた様子でカウンターに座り、カクテルを飲みながら談笑する様子を見て、
(確かにお客さんたちの日常の延長として存在するんだ)
と感じとることができた。
私もどきどきしながら、カクテルを作ってもらった。
その一部始終。グラスに美しいものがゆっくりと注がれ、私の目の前に差し出されるまで。何とも言えない優雅な時間が流れる。
キラキラときれいなブルーのカクテル。
チーフバーテンダーの石渡さんは、私の目の前にそれをスッと静かに差し出した。
その一連の所作にバーテンダーとしての誇りと心意気を感じた。
マスターは言う。
「いい日、わるい日、ふつうの日。人生はほとんどふつうの日です。その日常の中で句読点を打つように、お客さんにほっと一息楽しんでもらう。お客さんの心に小さな”ハレ”を生み、生活のリズムを整えるお手伝いをする。それが私たちの仕事」
・・・なんて素敵な表現なんだろう。
お店に飾られたステンドグラスや絵画など、数々の美しい装飾。店内の素敵な雰囲気をさらにぐっと良いものにしているそれら一つ一つにマスターの「仕事への思い」が詰まっている。
店内を静かに流れる音楽、シェイカーを振ったときに奏でられるシャラシャラと心地よいリズミカルな音。
繊細で無駄のない美しい所作と、そこから生まれる美しいカクテル。
しゃれたおつまみと、さりげなく季節を感じさせる食器など、季節ごとに変えているという装飾品。
確かな知識と教養をベースに、その時々に応じていい雰囲気で交わされる小気味よい会話。
それらすべてがマスターが考える「おもてなし」のためにある。
VICTORYさんの店内に入れば、だれでも静かで落ち着いた気持ちになるだろう。
来店したお客さんにお店の調和が乱されることはきっとない。
「周到に用意されたその空間が、お客さんを自然とそうさせる」
そんな風に感じた。
1杯に想いを込める
写真は、マスターが、カクテルの王様「マティーニ」を作る様子。
バーに行く機会が全くなかった私は、「王様」とよばれるそのカクテルを初めて知ったし、とても興味深かった。
「マティーニ」は、ジンとベルモットのみを注いで混ぜるシンプルなカクテルで、バーテンダーの力量が試されるカクテルだそうだ。
それはどのバーテンダーも一様にこだわるカクテルで、いろいろなアレンジがされるらしい。
「何事も極めようと思うならば、一番古いところから手を付けるのが良い」を信条とするマスターは、オーソドックスな技法とレシピで作成しているそうだ。
姿勢良く、優雅に、しかし、手際よく流れるような品のある美しい動き。
その様子を眺めさせていただいているだけで、雑多な世界から解放された気持ちになった。
とても幸せな素敵な時間をいただいた。
グラスにゆっくりとお酒が注がれ、お客さんに差し出されるまで。
そのお客様のために。
1杯に想いを込める。
その素敵な所作も含めて「カクテル」なのだと感じた。
縁と感謝を大切に日々を積み重ねる。変わらないおもてなしの心。
マスターは「縁」を大切にしている。
バーテンダーになったこと。
お店を「VICTORY」という名にしたこと。
バーを沼津の地ですることになったこと。
飾られている数々の装飾品がこの店にあること。
そして、私がVICTORYさんに足を運んだことも。
すべて「縁」だとおっしゃった。
その時々に「確かな想い」はあると思うけれど、さまざまなことを大きく「縁」と捉えつつ、自身のその時の感覚を大切に日々を重ねていらっしゃったのだろう。
「縁」の積み重ねが今に繋がっている。
マスターは、バーについて、食事や睡眠のように生きるために必要なことの外側にあるこころの豊かさを生むための「周縁文化」と捉えている。
日本人に古くから自然と備わっている、礼儀や思いやりを大切にする心。
随所に美しい四季を感じられるしつらえ。
謙虚さ、慎ましさ、細やかさ。
それらにわざわざ説明が添えられることはない。
その気遣いは客人が気づくことによってはじめて報われる。
心遣いに気づけるような感性を持ちたい。と思った。
時代の流れに沿いながら形が少し変わっても、芯にある「和の心」は変わらない。
マスターは、これからも「縁」を大切に日々を過ごしながら「お客様へのおもてなし」を極めていくのだろう。
VICTORYさんに「縁」あってお邪魔させていただき、マスターから貴重なお話を伺う中で、私にとってのバーがぐっと身近に感じられるようになった。
マスターがしつらえる「在り難くて尊い空間」。
その最高のおもてなしに最大限の敬意を払いながら、次は「マティーニ」を注文しようと思っている。